「クリスマス主日礼拝」をしました。

2016年12月25日(日)午前10:30~12:00、クリスマス主日礼拝を行いました。

クリスマスの賛美歌を歌い、聖書から救い主イエス・キリストの誕生の意味をお話ししました。

画像聖書の話のタイトルは、
 「心を照らす光」

今日12月25日はクリスマス。
こうして、みなさんと救い主イエス・キリストの誕生をお祝いでき、うれしく存じます。

実は、イエスが何月何日に生まれたのかは、わかっていません。

なのに、イエスの誕生を12月25日に祝うのは、なぜでしょう。

それは、「冬至」と関係があります。

冬至というのは、一年で、昼がいちばん短く、夜がいちばん長くなる日ですね。

私たちの住む世界が、「最も長く闇に覆われる日」と言ってもよいでしょう。

しかし、この日を境に日が一日一日と長くなり、私たちの世界は明るさを増していきます。

そこに宗教的な意味を見いだして、古くからいろいろな宗教が、この冬至の時期に、「太陽の神」の誕生を祝うお祭りをしていました。

キリスト教では、「いやいや、太陽は太陽であって、神様そのものではないでしょう。そうだ、聖書の中で、救い主は『義の太陽』と呼ばれている。そして、救い主イエス・キリストは、まさしく私たちの世を照らす光として来られたお方だ。だから、イエス・キリストの誕生を、この冬至の時期、12月25日に祝おう」ということになったんですね。だいたい4世紀半ばくらいの話だそうです。


暗闇の中で、人は不安や恐れを抱きます。
しかし、そこに光が訪れるとき、私たちの心に安心や希望が生まれます。

今日は、そのことについてお話しさせていただきたいと思います。
タイトルは、「心を照らす光」です。

三つのことをお話しします。


第一にお話ししたいこと、それは、「だれにでも夜がある」ということです。

「当たり前じゃないか、夜が来なければ、眠れないじゃないか。」
確かにそうです。
しかし、そういうことをお話ししているのではありません。

私たち人間には、あのことこのことが心配になって、不安になって、夜が来ても眠れない、ということがあるでしょう。部活や進路のこと、仕事や経済的なこと、自分自身の性格や人間関係のこと、病気や健康のこと…。いろいろあります。「だれにでも夜がある」というのは、そういうことを言っているのです。

で、朝を迎えるわけです。しかし、どんなに朝日が差し込んでも、心は晴れない。「ああ、もう朝か。また一日が始まるのか…」と、ため息をつく。

人間というのは不思議なもので、心に光がなかったら、外の世界がどんなに明るく輝いていても、全然楽しくないんですね。心は暗いままなのです。

でも、もし、心に光を持てたら、もし心に光を持てたなら、どんなにつらいこと、苦しいことがあっても、その闇に押しつぶされることなく、その光に照らされて闇に耐えることができる。希望を持つことができる。前に向かって歩み出すことができる。人間とは、そういう存在です。

だから、私たち人間には、「心を照らす光」が必要なんですね。

太陽の光も必要です。電気の光も必要です。しかし、何よりも大切なのは、「心を照らす光」なのではないでしょうか。

みなさんは、そういう光を、心の中にお持ちでしょうか。


第二番目にお話ししたいこと、それは、「そんな私たちのために、救い主イエス・キリストがお生まれになった」ということです。

クリスマスというと、明るく楽しいイメージですが、イエス・キリストが誕生したクリスマスのお話に出てくる人たちは、みな、暗闇の中に生きている人たちでした。

イエスの父となるヨセフは、先祖をたどるとユダヤ王家につながる人でしたが、彼の時代、王家は没落し、彼自身は貧しい木工職人になっていました。

また当時のユダヤはローマ帝国の支配を受けていました。皇帝の命令で、全領土の住民登録が行われることになり、ヨセフは身重の妻マリアを伴って、自分の先祖の町まで行かなければならなくなりました。皇帝の指先一本で、自分たちの人生が動かされる時代だったのです。

ヨセフとマリアはベツレヘムにつきましたが、宿屋が満員だったのでしょうか、泊まるところが見つからず、家畜小屋で夜を過ごすことになりました。人生、うまくいかないものです。

しかも、何とマリアはそこで産気づき、赤ちゃんを産んだのです。

生まれたばかりの赤ちゃんをどこに寝かそうかと探せば、飼い葉桶しかありません。家畜のえさ箱ですよ。

私たちは誕生日のあいさつに、「ハッピー・バースデー!」と言いますが、この状況は、客観的には、全然ハッピーじゃありませんね。

また、イエスが生まれたとき、天使の御告げを受けて、イエスのもとまでやって来た羊飼いたちがいましたが、彼らも暗闇の中に生きている人たちでした。当時のユダヤ人社会では、羊飼いという職業は、人々から軽蔑され、嫌われ、疎外されていたのです。

ですから、クリスマス物語に登場する人々は、みな、言わば、「暗闇」にある人たち、「どん底」にある人たちだったわけです。でも、クリスマス物語は、そこに意味があるのです。

先ほど、冬至は、私たちの住む世界がいちばん長く闇に覆われる日だと申しました。だれにでも夜があります。いつまで続くのかわからない暗闇。この先どうなっていくのかわからない暗闇。

しかし、そんな暗闇の中にある私たちのために、神は御子イエス・キリストを、私たちを照らす光として遣わしてくださいました。

このとき生まれた赤ちゃん、つまりイエス・キリストは、約30歳になって、人々に神の福音を宣べ伝え始めるのですが、彼はこう言ったのです。

「イエスは再び言われた。
 『わたしは世の光である。
  わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』」

(日本聖書協会「新共同訳聖書」 ヨハネによる福音書8章12節)


「イエスは叫んで、こう言われた。
 『わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、
  わたしを遣わされた方を信じるのである。
  わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。
  わたしを信じる者が、
  だれも暗闇の中にとどまることのないように、
  わたしは光として世に来た。』」

(日本聖書協会「新共同訳聖書」 ヨハネによる福音書12章44~46節)

私たちは、神様というと、どこか遠いところ、高いところで、私たちのことをただ黙って見下ろしているだけの動かない人というイメージを持ちますが、聖書が語る神はちがいます。

聖書が語る神は、私たちを愛するがゆえに、居ても立っても居られず、行動する神です。

神様は、私たち一人ひとりのことを愛しておられます。
そして、暗闇の中にある人々に向かって、「あなたは決してひとりじゃないよ!」ということを、何とかして伝えたいと思っておられる。そこで、神様は、独り子イエス・キリストを私たちのところに、目に見える人間の姿を取ってお遣わしになったのです。それが、クリスマスの出来事なんですね。

たとえ暗闇の中にあったとしても、たとえ人生のどん底にあったとしても、だれかが共にいてくれるということで、私たちの心に光が灯るのです。だれかがそばにいてくれるということで、私たちの心に生きる力が生まれるのです。

そのだれかに、わたしがなろう。
神様は、そういう思いで、私たちを愛するがゆえに、御子イエス・キリストをお遣わしになったのでした。

先ほどのイエスの言葉には、こうありました。
「だれも暗闇の中にとどまることのないように」
これが神の御心です。

イエス・キリストは神から遣わされて、私たちの心を照らす光として、来てくださったのです。


さて、第三番目、最後にお話ししたいこと、それは、「イエス・キリストを信じて、心の中に光を持とう」ということです。

イエス・キリストは、私たちの心を照らす光として来てくださった、神の御子です。このお方を信じるとき、私たちの心に光が灯ります。

キリストは言われました。
 「わたしを信じる者は・・・」
  「わたしに従う者は・・・」
    「暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

イエス・キリストを信じるかどうか、それは一人ひとりが自由に決めてよいのです。
実際、イエスがお生まれになったとき、彼が救い主であることを信じた人もいれば、信じなかった人もいました。しかし、信じた人は、心に光を得たのです。

イエスが神の福音を宣べ伝えるようになったときも、同じです。それを聞いて信じた人もいれば、信じなかった人もいました。しかし、信じた人は、心に光を得たのです。

私もそうでした。今思えば暗闇の中にあったとき、誘われて教会に行き、聖書を読んで、イエス・キリストと出会い、彼を信じて洗礼を受けました。そのことを通して、私は心の中に光を得ました。

もちろん、キリストを信じたからといって、いつもいいことばかりあるわけではありません。というか、人生に起こる出来事は、キリストを信じていても、いなくても、同じように起こります。

でも、私は自分自身の体験として、こう思います。どんなときも、どんな暗闇のときも、神様は私の心を光で照らし続けてくださった。

たとえば、眠れない夜を過ごすことがあっても、朝が来れば、「だいじょうぶ、神様が共にいてくださる。神様が力を与えてくださる。だから神様、今日も一日よろしくお願いします。」そう祈って、起き上がることができる。不思議な力が内側から湧くのです。

世の中には、体験してみなければわからないということがありますが、信仰の世界も、信じて体験してみなければわからない世界の一つなのではないかと思います。

クリスマス、それは神の御子イエス・キリストが私たちのためにお生まれになったことをお祝いする日です。

御子イエス・キリストは、私たちの心をその光で照らすために来られました。

ここにおられるお一人ひとりが、救い主イエス・キリストを信じることによって、心の中に光を得、その人生に神の恵みの光が増し加わっていくようにと、心から願っています。


画像毎週10~15人が集まる、肩肘張らない素朴な教会です。

信者であるなしにかかわらず、どなたも歓迎いたします。お気軽に礼拝にお越しください。


※お気軽にお問い合わせください。
 富山キリスト教会  電話&FAX 076-491-4622 まで。

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