どんな家族になりたいですか?

当教会では、不定期ですが、子育て中のママが集まる「ママ会」をしています。

ママ会では、夕食を食べながら、ただただおしゃべり。

その途中で、牧師による短い聖書の話の時間を持たせていただいています。

今回は、「どんな家族になりたいですか?」というタイトルでお話しさせていただきました。


「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。

 夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。

 子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです。

 父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです。」


(日本聖書協会「新共同訳聖書」 コロサイの信徒への手紙 3章18-21節)



「妻たちよ、夫たちよ」の部分は、キリスト教式の結婚式でよく朗読される聖書の箇所です。

画像結婚するとき、
「どんな夫婦になりたいか」
 「どんな夫(妻)になりたいか」
ということを、みなさん考えたことがあると思うのですが、いかがでしょう。

みなさんは、「どんな夫婦になりたい」、「どんな妻になりたい」と思いましたか?

また、お子さんが生まれたとき、みなさんは、「どんな親になりたい」、「どんな親子になりたい」と思いましたか?


1.夫婦のかたち、親子のかたちには、いろいろなかたちがあります。

10組の夫婦がいれば、10組の夫婦のかたちがあります。

少し古い言葉ですが、「夫唱婦随」、「亭主関白」、「かかあ天下」という言葉があります。夫婦のかたちを表現した言葉です。

リーダーシップをとるのが夫であっても妻であっても、本人たちが納得して、仲が良ければそれでよいと思います。

しかし、どちらかが犠牲になっているとしたらどうでしょう。社会や家庭において女性が弱い立場に置かれていた時代がありました。

最近はどうでしょう。男女平等のパートナーシップが求められるようになってきました。そこから「イクメン」という言葉も生まれました。大事なことです。

でも実際には、パートナーの協力を得られずに一人で仕事、家事、育児のすべてをこなさなければならないという「ワンオペ育児」という言葉もありますから、状況はまだまだよくなっていなさそうです。

夫婦のかたちとして悪いものに、「DV(ドメスティック・バイオレンス)」があります。配偶者間暴力。暴力で支配し、支配される関係です。

実はDVは、家庭内暴力のことなので、夫婦だけでなく親子の間でもDVという言葉が使われます。「児童虐待」は、親子のかたちとしてはあってはならないものです。

画像こうした問題を除けば、「夫婦の財布を一つにするか、別々にするか」、「子供を厳しく育てるか、伸び伸びと育てるか」みたいな話は、いろいろなかたちがあってよいと思います。

実際、いろいろなかたちがあるわけです。

同じように、親子にもいろいろなかたちがあります。


2.聖書が教える、夫婦のかたち、親子のかたち ~愛がなくっちゃね~

先ほどお読みした聖書の箇所には、聖書が教える「夫婦のかたち」、「親子のかたち」が書かれていました。

~夫婦のかたち~

まず、妻に対しては「夫に仕えなさい」と教え、夫に対しては「妻を愛しなさい。つらく当たってはならない」と教えています。

これを読むと、「ああ、キリスト教は、妻が夫に仕える男性優位を教えているのだな」と思われるかもしれません。

しかし、これは、今から2,000年前のローマ時代の文化の中で書かれているものであって、そのまま現代に当てはめてよいものではありません。

確かに、当時は男性優位社会でした。妻は夫に従うことが求められ、夫は妻を従わせていたのです。夫は妻につらく当たり、妻は形だけ夫に従う、ということもあったのでしょう。でも、それってどうなのでしょう?

そこで聖書は言うのです。

「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。」
言い換えれば、「主に従うように、心を込めて夫に仕えなさい」と言うのです。


夫に対しては、「妻を自分の所有物あつかいせず、一人の人として愛し、彼女の尊厳を傷つけるようなことをしてはいけない。つらく当たってはいけない」と教えたのです。

男性優位社会の当時にあっても、夫と妻が一人の人間同士としてお互い対等にパートナーとして生きることはできる。互いに愛し合うならば、それは可能だと言うのです。

男女平等社会をめざす現代にあっては、どうでしょう。かたちとして平等であっても、心を通わせることなく、互いに愛し合うことがなければ、夫婦は本当の意味での夫婦にはなれません。

夫婦のかたちには、いろいろなかたちがあります。
いろいろあってよいのです。
しかし、大事なことは、それがどのようなかたちであれ、そこに愛がなかったらダメだよね、ということなのです。

私たちは、互いに愛し合うことによって、言い換えると、お互いがお互いを大切にすることによって、本当の意味で夫婦となれるのです。


~親子のかたち~

これは、親子の関係でも同じです。

聖書には、「子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです」と書かれていました。

「従いなさい」と言われると、従いたくなくなるのが人間です。服従を強いられると、人は反発します。

しかし、私たちには「自発的に従う」ということもあります。相手の言うことがもっともに思えるとき、あるいは相手の言っていることに納得できなくても、しかし相手を尊敬しているがゆえに、わからなくとも従うということがあります。

聖書は、服従を強制しているのではありません。相手(この場合は親)を信頼することによって、自発的に従うように勧めているのです。

そうすると、親には、それに応える生き方が求められますね。


親に対しては、聖書は、「父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです」と教えています。

「いらだたせてはいけない」というのは、何でも言うことを聞いて思い通りにしてやらなければならないということではありません。
それでは子育てになりません。

「いらだたせる」とは、ここでは、子供の人格を無視してはいけないということです。
だれだって、自分の人格を否定されたり、無視されたりしたら、いらだちますし、怒りますよね。いじけてしまいます。ねじれてしまいます。聖書はここで、子供を一人の人間として尊重し、愛しなさいと教えているのです。

親子のかたちには、いろいろなかたちがあります。
いろいろあってよいのです。
しかし、大事なことは、それがどのようなかたちであれ、そこに愛がなかったらダメだよね、ということなのです。

私たちは、互いに愛し合うことによって、言い換えると、子が親を敬い、親が子を慈しむことによって、本当の意味で親子となれるのです。


3.愛するために、「愛する」ということを学ぶ必要があります。

画像「どんな夫婦になりたいか」

 「どんな親子になりたいか」

  「どんな家族になりたいか」

いろいろなかたちがあって、よいのです。

大事なことは、互いに愛し合うということです。私たちは、互いに愛し合うために、「愛する」ということを学ぶ必要があります。

私が小学生の頃、NHKテレビで「大草原の小さな家」という連続ホームドラマがありました。アメリカの西部開拓時代のお話で、主人公は「インガルス家族」。夫婦と三人娘の家族です。

厳しい環境に生きる貧しい家族でしたが、その家庭には愛があり、ユーモアがあり、祈りがありました。これを観ながら、「いつか大人になって結婚したら、こんな家族になりたいな」と思っていました。

高校生になるころ、誘われて教会に行くようになりました。そこには神を信じ、聖書を読み、祈り、人にやさしく、正直に誠実に生きる人々がいました。

牧師や信者さんの家にお呼ばれして、ご飯を食べさせていただくこともありました。それぞれの家族のかたちがありましたが、どの家にも、あの「大草原の小さな家」のインガルス家族のようなあたたかさがありました。

やがてわかってきたことは、どの人の心にも、「神様の愛」があるということでした。
インガルス家族のような、そして教会の人たちのような人になりたい…。

私自身は、何ごとも自分が一番でなければ気が済まない、人の気持ちがわからない、思いやりに欠ける自己中心的な人間で、イヤな奴でした。

けれども、聖書を読むうちに神様のことがわかるようになり、神様が私を愛してくださっていることがわかるようになりました。そして、イエス・キリストを信じる決心をして、高校1年生のクリスマスに洗礼を受けたのですが、それから私は少しずつ少しずつ変えられてきました。

「人を愛する」ということにおいて、もし私が少しでも成長できたとすれば、それはまったくもって神様のおかげです。

神様を信じて生きて行く中で、私は「神の愛」を知り、「愛する」ということがわかるようになってきました。聖書を読み祈る中で、多くのことを学びました。そして、教会で神を信じる人たちと共に過ごす中で、人の気持ちを考えることや、人との接し方などがだんだんとわかるようになりました。

幸せな人生を送るために必要なこと、それは愛し愛されることです。

そのためにも、私たちは、「愛する」ということを学ぶ必要があります。

一番良いのは、自分を愛してくれる人と出会うこと、その人と共に生きる中で、実際的に、愛し愛されることを学んでいくこと。それが一番です。

私にとって、それは神様であり、イエス・キリストであり、そして教会の人たちであり、同じ神を信じる家内でした。

もし神様を信じていなかったら、もし人を愛するということを知らなかったら、私はどんな人生を送っていただろうかとよく思います。

どんな結婚をして、どんな子育てをして、どんな人生を送っていただろうか。

きっと、人の気持ちがわからずに、思いやりに欠ける自己中心的な人間のままであったのではないかと思うのです。

そして、聖書にあるように、妻には「つらく当たり」、子供たちを「いらだたせる」ような子育てをしていたのではないかと思うのです。

神様を信じて、本当に良かったと思っています。


というようなお話をしました。


子育て中のみなさん、教会にいらっしゃいませんか?

教会では、0歳から未就学児のお子さんとママ対象の「親子サロン」をしています。

また小学生を対象にした「こども会」をしています。

担当する牧師夫人は、現役保育教諭で乳児保育の経験が豊富です。

牧師も、保育園用務員・保育教諭・放課後児童支援員・社会福祉士で、学童保育指導員歴は10年以上になります。

こどもたちを祈って育む、子育て仲間の輪を広げていけたらと思っています。

現在、「親子サロン」「こども会」は不定期ですので、参加ご希望の方は、ぜひ一度お電話くださるか、教会の主日礼拝にお越しください。

毎週10~15人ほどが集まる肩肘張らない素朴な教会です。
教会の礼拝は、信者であるなしにかかわらず、どなたもご参加いただけます。
小さなお子さん連れも歓迎です。別室がございます。
ぜひお気軽にお越しください。