あけましておめでとうございます。「新年礼拝」をしました。

あけましておめでとうございます!

画像みなさまの上に、今年も神の恵みが豊かにありますようにお祈りいたします。

今年もよろしくお願いいたします。

教会では、2019年元日、午前11:00~12:00、新年礼拝(オープン礼拝)を行いました。

教会の礼拝は、信者であるなしにかかわらず、どなたもご参加いただけます。

今日の新年礼拝でも、教会員のほか、そのご家族がご参加くださったり、帰省中の他県在住信者の方々も参加してくださったりして、笑顔に包まれたほっこりうれしい礼拝となりました。

画像新年にふさわしい賛美歌を歌い、聖書の言葉に耳を傾け、この1年が神に守られ、祝福されるように、心を合わせて祈りました。

聖書のお話では、テサロニケの信徒への手紙 一 2章13節から、
「生きて働く神の言葉」というお話をしました。


「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。

なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。

事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているからです。」

 (日本聖書協会『聖書 新共同訳』 テサロニケの信徒への手紙 一 2章13節)


1. 不思議な体験

今日は、私が昨年体験した、「ちょっと不思議な体験」をお話ししてみたいと思います。

牧師には、自分の仕える教会がありますから、他の教会の主日礼拝に出席するという機会は、講師として呼ばれることでもない限り、なかなかないのではないかと思います。私もそういう機会はなく過ごしてきました。

ところが、昨年、あることがきっかけで、別の教会の主日礼拝に出席する機会を得ました。講師としてではありません。一信者としてです。

普段は礼拝を司式し、説教を語る務めを果たしていますが、久しぶりに、会衆席に座り、説教を聴くことができました。

不思議だったのは、それが「向こう側の世界からの声」に聞こえたことでした。

目の前にいる牧師が語っているのだけれど、それがさらにその向こうから聞こえてくる感覚。向こう側の世界から、神が語りかけてくださっているという感覚。

普段、語る側にいるばかりの私でしたので、これは本当に新鮮で、不思議な感動と喜びが心に残りました。

寒い冬でしたが、教会から帰る途中、私の心は、何かこう不思議にあたたかいものに満たされていました。

実は、そのとき、「さて、これからどうしたものか」という心配を一つ抱えていたのですが、それも、「神が共にいてくださる」という平安に変わっていました。


2. 説教とは何か

この体験を通して、私は、「説教とは何か」ということを改めて考えてみました。

「説教とは何か」
 「説教を聴くとはどういうことか」
  「説教を語るとはどういうことか」

ここで説教学の本を開いて、その定義を述べようとは思っていません。私が体験したことを通して、ちょっと考えてみたのです。

「向こう側からの声」

私には、そう感じられました。

 というか、説教とは、本来、そういうものであるはずだ。
 神は、私たちの住む世界を超越した向こう側におられる。
 しかし、その神が私たちに語りかけ、
 それが説教となって、地に住む私たちの心に響く。

 説教とは、そして礼拝とは、
 地に住む私たちが超越者である神と出会う場なのだ。

と、そのようなことを考えたのでした。


次に、これまた機会を得て、別の二つの教会の主日礼拝に出席しました。

ここでも感じたのは、「向こう側からの声」でした。

私は、こう考えました。


 どんなスタイルや雰囲気であれ、
 そこに「向こう側からの声」が聞こえてくる。
 それが説教なのではないか。

 説教の内容はもちろん、
 説教を聴くという体験そのものが、
 神と出会う、神と向き合うことなのだ。

 そして、その体験が、
 私たちに「生きる力」を与えてくれるのである。


3. 神の言葉は、私たちの中に生きて働く

人が語っているのだけれど、その向こう側に神がおられて、神が語っておられる。

そして、その神の言葉によって、生きる力が与えられる。

はじめにお読みした聖書の箇所は、使徒パウロがテサロニケの信徒に宛てて書いた手紙の一部です。

テサロニケの信徒たちは、苦しみの中にありました。しかし、その苦しみの中にあっても、彼らは失望せず、落胆せず、喜びを失わずに生きていました。なぜ、そうした生き方ができたのでしょう。

パウロは言います。
「それは、あなたがたの中に、神の言葉が生きて働いているからだ。」

「わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。
事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものなのです。」

パウロやテサロニケの信徒たちが体験していたことを、実は、私たちも、今、体験しているのではないでしょうか。

キリストを信じたからと言って、何も問題のない人生を送れるわけではありません。

しかし、どのような中にあっても、神の言葉(福音、聖書の言葉)を聴くときに、不思議にも私たちの心の中に、慰めや平安、生きる希望や勇気が湧いてくる。

神の言葉は、私たちの中に生きて働くのです。

神は、今日も、私たちに語っておられます。

その御声に耳を傾けつつ、この一年も歩みましょう。


というお話をしました。


毎週10~15人が集まる、肩肘張らない素朴な教会です。
信者であるなしにかかわらず、どなたも歓迎いたします。
小さなお子様連れも、ご高齢の方も、大歓迎です。

※お気軽にお問い合わせください。
 富山キリスト教会  電話&FAX 076-491-4622 まで。