「スプリングコンサート」をしました。

2019年4月20日(土)午後7:00~8:30、スプリングコンサートをしました。

画像音楽ゲスト「トリプレッツ」のコンサート、牧師による聖書の話、ティータイムの楽しい90分。

今回はヴァイオリンに代わって、フルートが入ってくださいました。

来会者のほとんどは、信者ではない一般の方々です。
春と秋のコンサート、クリスマスのキャンドルサービス、毎週日曜日の主日礼拝は、一般の方々の来会を歓迎しておりますので、どなたもお気軽にお越しください。

「新年度のバタバタが続く中、このコンサートの日が来るのを心待ちにしていました」とは、コンサートの常連の方のコメント。

「ヴォーカルの透き通るような声も素敵だし、ピアノも素敵。フルートは管楽器ということで、その息吹は春風のようでしたね」とのコメントも。

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トリプレッツのみなさん、毎回、素敵な演奏をお聴かせくださり、ありがとうございます。

画像会場の小学生の女の子2人に、曲に合わせての振付ダンスをお願いしてみると、二つ返事でステージへ。

大人のみなさんは手拍子で応援して、曲が終わると、大喝采!

ホント、「春が来たー!」って感じのコンサートになりました。


さて、聖書の話では、コンサートの次の日がイースター(復活祭)ということもあって、「イエス・キリストの復活」にまつわるお話をしました。

タイトルは、「なるほど!イースター!」

参照箇所は、ルカによる福音書24章、使徒言行録1章。

(聖書は、「日本聖書協会」のウェブサイト、「聖書本文検索」でお読みになることができます。)


聖書の話 「なるほど!イースター!」


1.「イースターって何?」

画像イースターとは、イエス・キリストの復活を祝うキリスト教会最大のお祭りです。復活祭とも呼ばれます。

クリスマスは毎年12月25日というように「日にち」が決まっていますが(冬至と関係があります)、イースターのほうは、日にちは決まっていません。

毎年、「その年の春分の日の後の、最初の満月の、次の日曜日」に祝われることになっています。

今年2019年は、ちょうど明日4月21日がイースター。来年2020年は4月12日になります。

教会では、主イエス・キリストの復活を祝って、イースター礼拝がささげられます。
明日も世界中、日本中の教会でイースター礼拝がささげられます。
(東方教会は、暦の関係で日にちが異なります)

毎年日にちが変わるのですが、必ず「日曜日」になるようになっています。なぜでしょう?

それは、イエス・キリストが復活されたのが、「日曜日」だったからなのです。

ちなみに、キリスト教会では毎週日曜日に主日礼拝を行っていますが、これも、イエス・キリストが復活されたのが「日曜日」であったからなのです。


ところで、「イエス・キリストの復活」のストーリーを、みなさんご存じでしょうか。
クリスマスほどには、あまり知られていないようです。
そこで、イエス・キリストの復活のお話を、聖書からかいつまんでお話ししたいと思います。


2.「イエス・キリストの復活 ~イースター・ストーリー~」

イエス・キリストが人々に神の国の福音を語り始めたのは、およそ30歳のときでした。

イエスは、福音を伝えながら、病人をいやし、汚れた霊に取りつかれた人からそれを追い出し、また数々の奇跡を行っていきました。

人々は、「彼こそ、ローマ帝国からユダヤを解放してくれる救い主・キリストなのではないか」と期待するようになります。

それと同時に、イエスのことを快く思わない人々も出て来ます。当時の宗教指導者層がそれです。
彼らはイエスを亡き者にしようと相談し、結果的に、イエスを十字架につけて殺してしまいます。金曜日の出来事でした。

イエスの遺体は、その日のうちに取り降ろされ、墓に葬られました。当時のユダヤの墓は岩をくりぬいた横穴式のもので、遺体を布に包んで納めた後、入り口を大きな石でふさぎます。

弟子たちにとって、イエスの死はすべての終わりであり、絶望以外の何ものでもなかったことでしょう。

ところが、三日目の日曜日の早朝、事件が起こります。

まず、日曜日の早朝、イエスに従っていた婦人たちがイエスの墓を訪れると、墓をふさいでいた大石がわきへ転がされており、中に入ってもイエスの遺体は見当たりませんでした。

すると、途方に暮れていた彼女たちの前に天使が現れ、こう告げたのです。
「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」

婦人たちは、墓から帰って、イエスの弟子たちにこれを話しましたが、だれも信じてくれません。ペトロは、墓に走って中を確認しましたが、婦人たちが言うようにイエスの遺体がなくなっているのを見、驚きながら家に帰ります。

ちょうどそのころ、エルサレムからエマオという村に向かう二人の弟子が、復活したイエスに出会います。二人がイエスの死とイエスの遺体がなくなったことについて話しながら歩いていると、一人の人が近づいて来て話に加わります。

するとその人は、不思議なことを言うのです。「メシア(キリスト)が苦しみを受け、栄光に入ることは、聖書に預言されていたことではありませんか。」彼は話を続けます。

夕方、三人が家に入って食事の席に着いたとき、二人の目が開かれ、「主イエスだ!」と気づきます。ところが、その瞬間、イエスの姿は見えなくなりました。

驚いた彼らはすぐさまエルサレムの仲間のところに戻ります。すると、仲間たちが、「本当に主は復活して、シモン(ペトロ)に現れた」と話をしているところでした。二人も、復活したイエスに会ったことを話します。

するとそこに、イエスご自身が現れたのです。

弟子たちは亡霊を見ているのだと思いましたが、イエスは「まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」とおっしゃって、手と足をお見せになりました。

それでも弟子たちが不思議がっているので、彼らの前で焼いた魚を一切れ食べられた、とあります。

イエスはその後も、ご自分が生きていることを数多くの証拠をもって弟子たちに示し、40日にわたって彼らに現れ、神の国について話されました。

そして、その40日目に、彼らの目の前でオリーブ山の山頂から天に上げられ、雲に覆われて見えなくなりました。

そのとき、天使が現れ、こう言いました。
「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのを同じ有様で、またおいでになる。」


……これが、イースター、「イエス・キリストの復活」の物語です。

復活したイエスは天に上げられました。
しかしそれは、私たちから遠く離れてしまわれたのではありません。

イエスは神のもとにお戻りになり、見えなくなられましたが、目に見えない神が私たちと共におられるように、イエス・キリストも神と共に、そして私たちと共におられるのです。


3.「イエス・キリストは、本当に復活したのですか?」

すると、こういうふうにお思いになる方がいらっしゃるのではないでしょうか。

「イエス・キリストは、本当に復活したのですか?」
「物語としてはわかりました。でも、イエスは本当に復活したのですか?」

何しろ今から約2,000年前の出来事ですし、カメラやビデオがある時代ではありません。「証拠を示せ。証明しろ」と言われても、そんなことはできません。

では、「この話はうそなのか、作り話なのか」と言われると、それも証明することはできません。

私たちに残されているのは、ペトロをはじめとする弟子たちの証言だけです。ペトロは、こう言っています。

「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。」
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 使徒言行録2章32、33節)

彼らは、「わたしたちはそのことの証人です。わたしたちは見たのです」と言っています。その後も言い続けています。

疑われても、脅されても、「わたしたちは、(自分たちが)見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と、命をかけて、人生をかけて、イエスの復活を人々に語り続けました。

実は、このペトロ。イエスが十字架につけられたとき、イエスの仲間と思われるのが怖くて、逃げてしまった人なのです。そういう意味では、私たちと変わらない、弱さを持つ一人の人間だったのです。

ところがそんな彼が、イエスの復活を、恐れず大胆に語り始めた。

彼の変化は、どこから来たのでしょう。

イエスの復活を証明することはできません。
しかし、ペトロたちの変化を見るときに、彼らを変える “何か” があったとしか思えません。

その “何か” とは、何だったのでしょう…。
彼らの人生を根底から変えてしまうような強烈な体験…。

それが、「イエスの復活」だったのではないでしょうか。

その体験はペトロたちに留まりませんでした。彼らはイエスの復活を宣べ伝えるようになったのですが、彼らの話を聞いて「イエスの復活」を信じた人たちも、同じように人生を新しく変えられる体験をしていきました。

そのような体験者が起こり続けることによって、キリスト教は今日まで続いて来たのです。

私も同じです。
キリストの復活を信じるとき、私の中に希望や生きようとする力が湧いてきます。

人生には、辛いこと、苦しいことがあります。しかし、死から復活したお方が私と共にいて、私を励まし支えながら歩んでくださる。キリストの復活を信じるからこそ、どのような中にあっても、「その先」を見て、「その先」を信じて歩むことができるようになりました。

やがて私もいつかこの世を去る時が来るでしょう。しかし、その時でさえ、死から復活したお方イエス・キリストが、私を「その先」の世界に導いてくださる。

みなさん、復活とは、蘇生(生き返り)ではありません。
それは、質的に異なる、全く新しいものへの変化です。

イエス・キリストの復活を信じるとき、私たち自身が新しい自分に変えられ、新しい生き方に変えられていく。そして、私たち自身の復活を信じることができるようになるのです。

「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。」

ペトロは、驚きと 喜びと あふれるいのちをもって この言葉を語りました。
この言葉を、今日、私たちはどう受け止めるでしょうか。


というようなお話をしました。

おしゃべりティータイムでは、みなさん楽しそうにおしゃべりを楽しんでおられました。

普段の生活とはちょっと違う、心癒されるひとときを過ごしていただけたなら、私たちもうれしく存じます。

教会では、スプリングコンサートのほか、オータムコンサート(10月)、クリスマス・キャンドルサービス(12月)を企画しています。信者であるなしにかかわらず、どなたも歓迎いたします。

「もう少し聖書の話を聞いてみたい」、「私も神様を信じたい、イエス・キリストを信じたい」と思われる方は、ぜひ毎週日曜日に行われている「主日礼拝」にお越しください。教会の礼拝は、いつでもどなたも歓迎いたします。

画像毎週10~15人が集まる、肩ひじ張らない素朴な教会です。

どなたも、お気軽にお越しください。