11月の「ジュニアクラス」をしました!

2015年11月13日(金)夜、11月の「ジュニアクラス」をしました。

ジュニアクラスは、バイブルクラスの中高生版。
内容は、おしゃべりしながらの夕食とバイブルタイム。

画像現在の中心メンバーは、高校3年生たち。
大学受験が近づいて来ました。
それでもジュニアクラスに来てくれて、本当にうれしく思っています。

バイブルタイムでは、マジメに聖書を学んでいます。

クラスでは、いつも「主の祈り」を唱えています。

「主の祈り」

天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名をあがめさせたまえ。
御国をきたらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。
国とちからと栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。

今回は、この「主の祈り」をもとに、
 「人間には、宗教が必要だろうか?」
というお話をしました。

今年は戦後70年の節目の年でした。

この夏、新聞の特集で、原爆被害者やあの時代を生き抜いた人々の体験談を読んだのですが、彼らがみな口をそろえて、「あれは地獄のようだった」と話していたことが心に残りました。

「あれは地獄のようだった・・・」

ちょうど今も、読売新聞朝刊の「時代の証言者」の欄で、日本を代表する考古学者・大塚初重さんが取り上げられていますが、その中で大塚さんは、軍人として乗っていた船が米潜水艦の魚雷を受けて沈没し始めたとき、自分の体にしがみつく2,3人を燃えさかる船底に蹴落として、自分が助かった体験を話しておられます。
「私は仲間を殺して生き延びました。生きたい一心でした。『大塚さん、それが戦争というものです。気にしないことです』と後に対談した小野田寛郎さんは慰めてくれましたが、死ぬまで忘れません。」

戦争に限らず、こうした地獄のような現実が起こるのが、私たちの住んでいる世界です。
だからこそ、私たちは「天にまします我らの父よ」と祈るし、祈らざるを得ないのではないでしょうか。

私は、こんなことを想ったのです。

何不自由ない平和な日常の中で「主の祈り」を唱えるとき、その祈りが「軽くなっている」ということがあるのではないか。毎週の主日礼拝でも、ただ習慣的に機械的に唱えているだけということがあるかもしれない。

しかし、地獄のような現実に遭遇したそのときに、まず果たして「天にまします我らの父よ」と祈ることができるだろうか。神がいるとはとても思えない状況の中で、私たちは果たしてなお「神よ」と呼びかけることができるだろうか。「できるわけがない。」

しかしまた、そんな状況だからこそ、私たちは神を求めざるを得ないのではないか。

そして、悲惨な現実の中で神を求めざるを得ない人間の切実な祈りとして、「願わくは、御名をあがめさせたまえ。御国をきたらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」が唱えられていくのではないか。

戦中戦後、食べるものがなくて、それを逃すと自分や家族が生きていけないというようなときに、人を押しのけて、奪ってでも食べ物を得たという話もある。

食べるものがない中で祈る、「我らの日用の糧を与えたまえ」の切実さ。

人を押しのけなければ生きていけない中で祈る、「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」の切実さ。

こうしたことを想いつつ「主の祈り」を唱えると、今まで聞き唱えていたそれとは、まるで違って聞こえてくるのではないでしょうか。

「人間には、宗教が必要だろうか?」

ジュニアクラスのメンバーたちは、これから受験を経て、大学に進学することになるわけですが、「生きるとは!? 人間とは!?」ということを、これからも自分なりに考えていってほしいと思います。


ジュニアクラスは、現在のところ、実質、高校生女子クラスです。
ほとんどが信者でない、一般の高校生。
いつでも参加者募集中です!どなたも歓迎!
あなたも聖書を読んでみませんか?

男子中高生のためには、男子クラスがあります!
こちらも参加者募集中です!

参加ご希望の方は、その旨、教会まで電話かFAXにてお知らせください。

お問い合わせは、
 富山キリスト教会  電話&FAX 076-491-4622 まで。

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