「スプリングコンサート」をしました!

2017年4月29日(土・祝)午後7:00~8:30、スプリングコンサートをしました。

画像音楽ゲスト「トリプレッツ」のコンサート、牧師による聖書の話、ティータイムの楽しい90分。

ソプラノ、ヴァイオリン、ピアノの美しい演奏に、どなたも聴き入っておられました。

音楽家の演奏をこんな間近で聴く機会というのは、普段の生活ではまずないですからね。

画像トリプレッツのみなさんといっしょに、来会者のみなさんみんなで歌うコーナーもあったのですが、みなさん気持ち良さそ~に歌ってらっしゃいました。

ホントに素敵な時間を過ごさせていただきました。


聖書の話では、新約聖書 マタイによる福音書6章25~34節から、
「空の鳥を見なさい。野の花を見なさい。」というタイトルでお話ししました。


1. 「思い悩むな」

キリストは言われました。
「何を食べようか何を飲もうか、何を着ようかと思い悩むな。」

「今晩の献立を何にするか悩んではいけない」とか、「ゴールデンウィークにお出かけするのに、何を着ようかと悩んではいけない」という意味ではありません。

イエスの時代のユダヤは、ローマ帝国に支配されていて不安定な状態にありました。また、今の日本のようにモノがあふれている社会でもありませんでした。

今日、食べる物、着る物があっても、この先どうなるかわからない。ひとたび社会が混乱に陥ったら、何を食べ、何を飲み、何を着たらよいのか。

明日や将来が見えない不安、そういう思い悩みがあったわけです。

でも、こうした思い悩みは、実は、今の時代にもありますよね。

もし病気になって働けなくなったらどうしよう。もし災害が起こったり、ミサイルが落ちてきたりしたらどうしよう。住むところを失ったらどうしよう。仕事を失ってしまったらどうしよう。

実際、そういう問題に直面して思い悩んでいる人はおられるでしょうし、そういう問題に直面していなくても、いろいろと心配して思い悩む方もおられます。

いつだったか、新聞の人生相談に、あるご婦人からこんな相談が寄せられていました。
ご主人は社会的に成功し、地位も名誉も財産もある。夫婦そろって健康であるし、こどもたちも立派に成人した。何不自由ない幸せな毎日のはずなのに、「いつかこの幸せが崩れていくのではないか」と考え始めたら、もう毎日が心配で心配でたまらない。私はどうしたらよいのでしょうか、という内容でした。

人間は、「問題があるから」思い悩むだけでなく、「問題がなくても」思い悩んでしまう存在のようですね。

誤解していただきたくないのですが、将来について、あれこれ考えること自体は悪いことではありません。いろいろと考えて備えることは必要でしょう。

しかし、あれこれ考えても、どうしようもないこともあります。そういうときは、「思い悩むことをやめる」のがよいのです。

思い悩むと、生きるのが辛くなります。先に進めなくなる。今を喜べなくなる。だから、どうなるかわからないことについては、「思い悩むのをやめる」ことが必要です。

でも、みなさん。
思い悩むなと言われても思い悩んでしまうのが、私たち人間なんじゃないでしょうか。
どうしたらいいんでしょう…。


2. 「空の鳥、野の花を見なさい」

そこで、キリストは言われました。
「空の鳥をよく見なさい。野の花をよく見なさい。」

イエスの周りには、その教えを聞こうとして多くの人々が群がっていました。思い悩んでいる人たちも多かったのではないでしょうか。

人間、思い悩むと視野が狭くなります。問題に目も心も奪われ、問題に集中しすぎてしまう。その結果、他のものが目に入らなくなる。

そんな彼らに、イエスは、「空の鳥を見なさい。野の花を見なさい」と語られたのです。

イエスに促されて空を見上げると、そこには大きな青い空が広がっている。
「ああ、空ってこんなに広かったんだ。空ってこんなに青かったんだ。」
そこで、空の広さ、空の青さを忘れていた自分に気づく。

その空を鳥が飛んでいる。
「ああ、確かにそうだな。空の鳥は、種を蒔いたり、刈り入れたり、将来の不安に備えて、倉を建てて餌を蓄えたりしないよな。しかし、それでも天の父は、ちゃんと鳥を養っておられる。『あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか。天の父は、あなたがたのことを心にかけ、その人生を守ってくださる』とイエスはおっしゃったけれど、ホントにそうだよな。」

イエスに促されて野を見ると、そこに花が美しく咲いている。
「ああ、きれいだな。『今日は生えていて、明日には枯れて、焚き付けとして炉に投げ込まれてしまう野の草でさえ、神はこのように美しく装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか』とイエスはおっしゃるけれど、ホントにそうだよな。」

問題ばかり見つめていた私たちの目が、空に向けられ、野に向けられる。
そこには鳥が飛んでいて、花が美しく咲いている。
それらを見ながら、大きく息を吸い込んで、「ふぅ~」と息を吐くと、肩の力が抜けていく。思い詰めていた状態から解放される。

そのとき、私たちは気がつくのです。

「そうだ、神様がいるじゃないか。」

「私たちと共にいて、私たちを守ってくださる天の父がおられる。
 だから、このお方を信頼して生きていけばいいんだ。
 私の人生を、このお方に委ねて歩んで行けばいいんだ。」


そこに、不思議な安らぎと生きる力が生まれるのです。

空の鳥、野の花を見ることをとおして、天の父なる神の存在に気づくこと。そこがポイントです。

そうでないと…

 「この前、教会に行って、いい話を聞いてきたよ。」
 「へえ、そう。どんな話?」
 「うん、悩んだときには、バードウォッチングとガーデニングがいいらしいよ」って話になってしまいます。
 「なにそれ、教会行って、神様の話聞いて来たんじゃないの?」ってことになってしまいます。

「私たちを守ってくださる天の父がおられる。だから、このお方を信頼して生きていけばいいんだ。」

そこが、思い悩みから解放されるポイントなんですね。


3. 「神を信じて、一日一日を精一杯生きよう」

今日お読みした聖書箇所の最後のところで、キリストはこうおっしゃっています。

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
(日本聖書協会「新共同訳聖書」 マタイによる福音書6章34節)


この箇所を、別の日本語訳の聖書では、こう訳していました。

「明日のことを心配するのはやめなさい。神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生き抜きなさい。」
(いのちのことば社「リビングバイブル」 聖書箇所 同上)

明日がどんな日になるか、それはだれにもわかりません。
将来、自分の人生がどうなるか、すべてを見通せる人はいません。

でも、私たちの明日を守ってくださる天の父なる神の存在を知るならば、信じるならば、「今日」という日の生き方が変わってきます。「神にすべてをゆだねて生きる」ことができるようになるからです。

「明日がどうなるか私にはわからないけれど、明日を守られる神がおられるのだから、与えられた一日一日を精一杯生きていこう。」

神を信じるときに、不思議な力が生まれます。それが信仰の力です。

そして、そのように一日一日を生きていくならば、私たちの未来もまた、良いものに変わっていくのではないでしょうか。

「空の鳥を見なさい。野の花を見なさい。」

イエスは、今日も、みなさんお一人ひとりに、同じように語っておられます。

というようなお話をしました。

おしゃべりティータイムでは、みなさん楽しそうにおしゃべりを楽しんでおられました。

普段の生活とはちょっと違う、心癒されるひとときを過ごしていただけたなら、私たちもうれしく存じます。

教会では、スプリングコンサートのほか、オータムコンサート(10月)、クリスマス・キャンドルサービス(12月)を企画しています。また、毎週日曜日午前10:30~12:00には、「主日礼拝」が行われています。信者であるなしにかかわらず、どなたも歓迎いたします。


画像教会の礼拝は、いつでもどなたも歓迎いたします。

毎週10~15人が集まる、肩ひじ張らない素朴な教会です。
遠慮なく、お気軽にお越しください。